この日何の日 1月7日「七草(人日)」「昭和天皇の御命日」

いやはや、令和4年(2022年)になってしまいました。新年を迎えたわけでして、久々に書きものをしてみようかな、と。数日坊主になりそうな予感たっぷりですけれども。

まだ、年明け間もない1月7日ですが、昭和天皇の御命日であります。今から33年前、昭和64年(1989年)の1月7日、午前6時33分に昭和天皇が御年87歳にて崩御されました。同時に、この日をもって足掛け64年(実質62年と14日)の「昭和」が幕を閉じ、翌日から「平成」に改元されました。

昭和最後の日の午後、当時の内閣官房長官・小渕恵三氏(当時51歳)によって新元号「平成」が発表されます。「平成おじさん」なる愛称も後から付いた小渕恵三氏はこの10年後に内閣総理大臣を務めておられました。しかし、首相在任中の介護保険制度の開始早々の平成12年(2000年)の4月2日に倒れられ、後任に森喜朗氏が急遽就任。小渕氏は意識が戻らぬまま翌月帰らぬ人となりました。
そういえば「令和おじさん」としての顔も持つ菅義偉氏も就任時としては令和初の首相になられましたね。菅氏が「令和」を発表されたのは70歳のときでしたが。その年齢だとおじいさんか。

画像は自宅のタンスにしまってあった平成元年最初の日(1989年1月8日(日))の新聞を撮影したものです。なんでまたこんなもの保管してたのだろうね。ついでに。

その日の新聞、テレビ欄とか空白だらけだったりするのですが、隅っこにあった記事が非常に気になるところのものとなりました。昭和最後の日に生まれた「健太」君(仮)も33歳になりました。当時お母さんは21歳(お父さんも28歳)とか現代の感覚から見るとかなーり「若い」ですね……。
それにしても、「ただ将来、昭和生まれ、がついてまわって、年より老けて見られるかしら」というお母さんのコメント。健太君(仮)とほぼ同世代(?)の私にも痛く刺さる一言になっています。健太君(仮)も今33歳となれば結婚して家庭を持って子供がいる可能性は大きいですね……。

そして、1月7日は七草の日。古くからの五節句のひとつ「人日の節句」に由来します。五節句には人日(じんじつ)の他に上巳(じょうし、3月3日)、端午(たんご、5月5日)、七夕(しちせき、7月7日)、重陽(ちょうよう、9月9日)があります。このうち「上巳」は「桃の節句」とも呼ばれ、つまりは「ひな祭り」です。これらの五節句も本来は旧暦(中国式太陽太陰暦)で実施するものですが。

春の七草、全部言えますか?(読者を想定しての問いかけ)
せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ」とテンポの良い五七五七調にまとめられます。私はというと大人(年齢≧20)になってから、NHK教育テレビ「にほんごであそぼ」で覚えました。春の七草があれば、秋の七草もあるのですが、秋の七草は食用ではなく観賞用です。
お正月明けに七草がゆを食べるという習慣は、年末年始にいろいろ飲み食いして疲れた胃腸をいたわるという意味合いがあるそうですよ。

まぁ、しかし。今年は令和4年ということで。昭和天皇に代わって即位された、平成時代の天皇、今の上皇陛下の生前退位に伴う改元から早くも4年目。嗚呼、昭和は遠くなりにけり、ですわね。

読書録「小説8050」(林真理子・著)

 本書に手をつけるや否や『怖いもの見たさ』的な気持ちでどんどん読み進めていきました。
 私立中学校で受けた壮絶ないじめがきっかけで、引きこもり生活に入ったという本作における『当事者』の大澤翔太、二十一歳。引きこもり歴は中学二年、十四歳の頃から七年に及ぶ、と。翔太の家は都内に居を構える祖父の代よりの開業歯科ということでいわゆる『太い』実家ではあります。
 もう七年も前の、中学時代のクラスメイトに対する『裁判』というかたちで、翔太の『問題』を『解決』していこうとする。それが可能であるというのも、その『実家の太さ』あってこそでしょう。
 今更、『過去』ばかり振り返ってどうなるんだ、ましてや七年も前のいじめの件での『裁判』というのは、などと私も最初は思いました。しかし、過去に『失敗』(例え、被害者というかたちであっても、であるからこそ)をしてしまった人間は立ち直ることができないという日本の社会的な土壌があり、それゆえに敢えて『過去』と改めて『向き合う』という皮肉めいたものも感じました。
 さて、本作の途中部分には次のような台詞があります。
「子どもの出来なんて、籤みたいなもんだと思わない? どんなうちにだって、何本かハズレが入ってる。私たちはたまたまハズレをひいちゃった」
 子どもの出来もクジみたいなものならば、その子どもというか、もはや生まれてしまった一人の『人間』の人生もまたクジを引き続けるようなものなのかもしれません。もし、外れクジばかり引き続けている人生ではあっても、いつかは当たりとはいわずも少しはまともなクジを引ける日は来るのかもしれません。
 エピローグ部分に出てくる翔太の台詞「このまま五十のおっさんになったら、サイテーじゃん」というのも、結局二十歳頃に端を発する自身の問題を二十年近く経っても解決できず、未だ『閉じこもり』がちな四十路近い割には『世間知らず』の私の心に突き刺さるものとなりました。
 結局、本作の『8050』というタイトルは最後まで『忌避対象』としてのものであって、現実の『8050問題』に対して呼応しているものではないように感じました。

この日何の日 4月22日「アースデー」

【問】4月22日は「アースデー」。では、4月21日は何の日?
【答】「アースデーは明日でぃー」と言える日。(ほかに4月1日も)

……とまぁ、そういうおサムいこと言って少しでも地球温暖化を食い止めようと謀る猫尾です。

4月22日は「アースデー」「地球の日」ですね。

最近になって太陽系外にも地球のような惑星があって、そこには生命が存在する可能性も……、つまり、我々の地球は唯一無二の存在というわけでもないかも、なんて言われるようになったようですが。一番近い恒星系(太陽系のようなもの)までここから光の速さで4年以上掛かる距離ですからね。地球というのも宇宙から見るといかに孤立した存在であるかお解りになるかと。

孤立した存在であると同時に、それだけに、貴重な存在ですよ。いろいろな偶然とは思えない奇跡的な条件が重なって、生命が生まれ、我々人類がそれらの霊長として立っているという。その背景には神の手なる存在を感じさせます。進化論がある程度認められるとしても、創造論を完全否定することはできないかと。思想に関わる話はこのシリーズにおいてはあまり書きたくないのですがね。

いずれにしても、産業革命以来、地球の環境というものが急速に汚されてきているのは事実だと認めざるを得ません。冒頭にも述べたいわゆる「地球温暖化」(私はあまりこの表現は好きではないのです。「温暖」という単語にポジティヴなイメージを伴う気がするので)というか「異常気象化」というのも急速に深刻になっているのかもしれません。

まぁ、「地球環境問題」というのも近年ではビジネスの道具、あるいは政治の道具に使われている気がして、どうもモヤモヤせざるを得ません。この先どのくらいの間、人類が生き残れるかどうかはわかりませんが。SDGs(Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標))なんていうのも最近よく言及されるようになってきてはいますが。

環境問題に関しても「人類みんなで考えよう」などとはいわれますが、実際問題「一般市民」に向けては「権力者」によって現在の地球環境の実像が曲げられて伝えられてしまっているのかもしれません。そんなのでは環境問題を「みんなで」考えられることは到底できないかも。このへんもやはり「きれいごと」で済ませられるようでモヤモヤしますね。

少なくとも「エコ」の面をかぶった「エゴ」はもうご免ですね。

この日何の日 4月21日「ゲームボーイの日」

1989年、つまり平成元年の4月21日、任天堂から「ゲームボーイ」が発売されました。
余談ですが、ちょうどこの月平成元年4月から3パーセントの消費税が導入された矢先のことでもありました。

今でこそポータブルゲーム機、あるいはスマートフォン、など……。
私は最近、ゲームをしないのでよくわからないのですが、家庭用ゲーム機も多種多彩になっているようです。
私も小学生の頃とかゲームボーイで、どこででも遊んでいた記憶がありますよ。家のベランダでひなたぼっこしながら、とかね。
個人的にゲームボーイでいちばんハマったのは「SaGa2」かなぁ。あと少しマニアックなところで「SELECTION~選ばれし者~」とか。今でも覚えている人いるんかい。RPG好きだったもので。「星のカービィ」なんてのも流行りましたよね。

1978年頃からのスペースインベーダーゲームの空前の大流行からコンピュータゲームは市民権を得ました。80年に任天堂から発売された「ゲームウオッチ」はポータブルゲーム機として「ゲームボーイ」のご先祖的な存在となります。83年には同社からファミリーコンピュータ(ファミコン)が発売され、家庭用ゲーム機の時代へ。ここらへんから子どもたちの遊びもコンピュータゲーム主体になっていったようです。

私も1981年生まれですから、物心ついたときにはファミコンが存在したわけで。ゲームボーイの発売も小学2年のときです。
世代世代に子ども時代の遊びにも、うれし・たのし・かなしの思い出は多々あるでしょうけれど。今年で40歳の私ら81年生まれ。小中学生時代には、主にファミコン、スーパーファミコン、そしてこのゲームボーイで育った、といった感じです。

この日何の日 4月20日 「郵政記念日」

1871年4月20日(明治4年3月1日)に日本で初の郵便制度が実施されたことに因みます。
※実はこの時点ではまだ日本の公式の暦は旧暦だったのですよ。翌々年明治6年の元日から新暦に移行します。
1871年というと、今年2021年で150周年の節目なので、記念切手等に関しても例年以上に気になるなぁ。
切手集め。趣味というほどではないですが、好きなデザインの切手が出ていればたまに買います。郵便を送る相手へのちょっとした心遣いのつもりで、ですね。
郵便制度の実施にあたっては前島密(まえじま・ひそか)という人物が大きく関与しています。まさに郵便制度の父ともいえる方です。「一円切手の人」ですね。
約30年前、平成初期に消費税が導入されて一円切手を追加で貼らなくてはならなくなったとき、「消費税という税制、ここにも在り」というような顔をしていたな、という印象が。
まぁ、何せ。(現在の料金ではがきや封書が)63円とか84円で日本中どこにでも届くって。
小泉純一郎内閣のとき民営化されることになった郵便事業。今は政治と関係ないわけですから「郵政」なんて言わなくなりましたが、やっぱり郵便制度ってありがたいですね。

この日何の日 4月19日「地図の日」

中年期を過ぎてから天文学や測量を学び、実際に自分らの足で測量することにより、「日本地図」を日本人として初めて作成した伊能忠敬、当時55歳。
その日本地図作成に向けての旅立ちが寛政12年閏4月19日(西暦では1800年6月)でした。
(閏月というのは現在のカレンダーにない概念ですね。太陰暦の暦月と季節に合わせるために設けられるものです)
さて本題。地図を見るのは私も小さな頃から好きな方でした。
地図記号に対して興味津々になったり。副読本の地図帳とかもありましたよね。
続いて。今では伊能の時代の200年前には当然ありもしなかったGPSなんてものがあったり、あとパソコンやスマホで世界各地の細かいマップが見られたり、と。ストリートビューで仮想旅行に出掛けた気分になれたり、します。反面プライバシーとかも気になりますけれど。
伊能忠敬鑑真、田中正造に並び私の中での「日本史上三大尊敬対象人物」となっております。

fizzbuzz 問題の coding

さて、fizzbuzz について少し気になったので、更に深く掘り下げてみますわ。

Python の場合は Wikipedia に載っているとおりなので。
https://ja.wikipedia.org/wiki/Fizz_Buzz#FizzBuzz%E5%95%8F%E9%A1%8C

Java でとりあえず一行で表現するのにチャレンジしてみました。1 から 100 までの自然数に対し順番に、コンピュータが数や fizz, buzz, fizzbuzz を独唱していくだけのプログラムです。

class fizzbuzz{
    public static void main(String[] args){
        for (int i = 1; i <= 100; i++)
            System.out.println((i % 15 == 0) ? "fizzbuzz" : ((i % 5 == 0) ? "buzz" : (i % 3 == 0) ? "fizz" : i));
    }
}

ここで利用しているのが、条件演算子と呼ばれる三項演算子で以下のように記述されます。それを更に入れ子にしているわけです。Java だけではなく C にも同じかたちで存在します。

(条件)?(条件が真の場合の値):(条件が偽の場合の値)

Excel や Google スプレッドシート での IF 関数に似ていますね。以下のようなものです。

=IF(条件, 条件が真の場合の値, 条件が偽の場合の値)

これについて、具体例を挙げるとすれば、テストの得点 score が100点の場合に「満点」、80点以上の場合に「合格」、80点未満の場合に「不合格」という文字列を str に代入するとしたら、

str = (score == 100) ? "満点" : ((score >= 80) ? "合格" : "不合格");

なんてふうに記述できるところのものになります。

まぁ、これを多用して、さらに入れ子にしたりすることが重なると、コードが読みにくくなってしまうだけなので、if 文を利用したほうがいいかとは思います。

Python にも条件演算子は存在するらしいので、先程と同じ事を Python でやろうとするなら、

for i in range(1, 101):
    print("fizzbuzz" if (i % 15 == 0) else ("buzz" if (i % 5 == 0) else ("fizz" if (i % 3 == 0) else i)))

こうなりますね。ああ、入れ子ごちゃごちゃしてるぅー。なお、Python での条件演算子は

(条件が真のときの値) if (条件) else (条件が偽のときの値)

と記述されます。先程のテストの得点による判定を記述するならば、

str = "満点" if (score == 100) else ("合格" if (score >= 80) else "不合格")

というふうになりますね。

折角ですから、コンピュータと人間で fizzbuzz を対戦させるプログラムも作ってみたいですね。例のアレクサスキルみたいに。ただ、コンピュータが計算や処理を間違うということは(バグとかではない限り)ありえないので、ある確率でコンピュータが「わざと間違う」ように仕組んでみるとより一層おもしろくなるかもしれません。

とりあえず、fizzbuzz 問題が解けるかどうかで、コンピュータプログラミングにおける初歩からのカナメであるところの、繰り返し処理(for 文などを利用)と条件分岐(if 文などを利用)を正しく理解しそれを利用できているか、がわかるということらしいです。

fizzbuzz

amazon の echo 端末、いわゆる「アレクサ」には fizzbuzz ゲームの機能が搭載されているようです。

fizzbuzz とは。たとえばふたりでペアになって、交互に 1 から順番に大きい方へ向かって自然数を数えていくのですが、3 の倍数のときには数の代わりに「fizz(フィズ)」と言い、5 の倍数のときには「buzz(バズ)」と言うのです。そして、3 の倍数かつ 5 の倍数、つまり 15 の倍数なら「fizzbuzz(フィズバズ)」と言うのです。「fizz」「buzz」「fizzbuzz」のときには数を言ってはいけませんし、そうでないときには順番に数を言っていかなければなりません。

まぁ、具体例を示したほうがわかりやすいかと思うので。ここでは A さんと B さんがいて、ふたりで互いに数字を言い合っていくことに、そして A さんが先手としましょう。

A「1」
B「2」
A「fizz」(3)
B「4」
A「buzz」(5)
B「fizz」(6 = 3×2)
A「7」
B「8」
A「fizz」(9 = 3×3)
B「buzz」(10 = 5×2)
A「11」
B「fizz」(12 = 3×4)
A「13」
B「14」
A「fizzbuzz」(15 = 3×5)
B「16」
A「17」
B「fizz」(18 = 3×6)
A「19」
B「buzz」(20 = 5×4)
A「fizz」(21 = 3×7)
B「22」
A「23」
(……以下、延々と続く)

こういうのの何がおもしろいのか、という人もいるかもしれませんが、とっさに 3 の倍数かどうかを判断するのは意外とむつかしいかもしれません。5 の倍数ならばわりとわかりやすそうですが、うっかりということはありますから。
(そういえば昔、世界のナベアツとか居たなぁ……)

3 人以上でこのゲームを楽しむことも可能だとは思いますが、人数が 3 ないし 5 の倍数になっては不公平になりますね。たとえば、3 人でするとしたら 3 人目の人だけ「fizz」か「fizzbuzz」としか言うことがなく、数を言わなければならないことがなくなりますから。

この機能がアレクサに搭載されていることは、昨日だったかたまたま見ていた放送大学の授業科目案内で知りました。情報コースの計算の基礎に関する授業の案内だったのですが。そこで私も気になり、昨夜寝るときに自分のアレクサちゃんに話しかけて対戦してみたのです。結構いい調子で進んでいって 100 をも超えて、さてどこまでいくかな、と思ったら 151 でつまづきました。計算ミスでつまづいたというよりは私の滑舌が悪いせいで違う数を言ったようにアレクサちゃんに誤認されたのですけれども。

アレクサスキルの「FizzBuzzゲーム」のスキルは以下の URL から有効にできます。echo 端末等をお持ちの方は是非このスキルを追加してみて、そして使用してみては。
https://www.amazon.co.jp/dp/B07DPNVTXP

この fizzbuzz というのも元々はプログラミングスキルの第一歩的なことができるかどうかの試金石的な、古くからの例題らしくて。初歩的ながらももう少し掘り下げて、より一般化して考えるのもよろし、かもしれませんね。近年では義務教育でもプログラミング教育が必修化され始めているそうなので、オトナがこれを知らないと、これすら知らないと、小学生にまでバカにされるかもしれませんよ。

あと、少しプログラミングの経験がある方なら、いろいろな言語(できるだけ多くの)で fizzbuzz を書いてみたり、あるいは fizzbuzz の亜種をかんがえてみるのもいいかもしれません。
(たとえば 7 の倍数のときにも何かいうとか、素数のときに何かいうとか)